映画「シン・ウルトラマン」感想(2022.5.15)

実はウルトラマンを観るのが初めてである。
特撮に縁がなかったとは言わないが、子どもの頃は人間よりも人形劇が、実写よりもアニメーションが好きだった。成長して価値観にも幅で出てきた後に放送が始まったティガも、主題歌は何となく歌えるけど、観たことはなかった。特撮の中でもウルトラマンは、ゴジラ仮面ライダーに比べて、何故か一番縁遠い作品だった。
が、別に苦手という訳ではなく、予告ですごく面白そうだったので観に行きました。

 

いやあ、もう、音や声を聞くだけでもかなり良かった。セリフ回しや会話が心地よかった。言葉は基本、スクリーンの中の登場人物間でコミュニケーションをとるために発せられこちらはそれを聞いているのであり、語るのは言葉ではなく画面そのものなのである、というのがほんと良かったのですが、これが何かと具体的に申しますと左手薬指に指輪をはめた西島秀俊プライヴェートが全く露顕しないにも関わらず、その生き方、私的な部分は確かにあるのでありその私的側面をいかに守っているのか、がうっすら透けて見えるのが本当に、わたしこういうことがやりたいんですよね…と憧れた。
西島秀俊と言えば私の中ではいまだに「MOZU」の姿が強く印象に残っており、わあ、俳優さんはこういう人物にも成るんだ、と味わいが深かったです。
同じく「MOZU」の印象がいまだ強い長谷川博己氏に関しても一度、強烈な別の映画を観た方がいいんではないか。それこそ「シン・ゴジラ」が未見なのですが。

 

それまで常識の外にあったものが突然現れることによって世界にどう打撃が与えられるのか、そして日常は常識外のものをその風景の中に溶け込ませていくのか。避難ののんびりしたペース、一方では危機が迫ることを知っていても、人波にとけこんでそこらの角を覗けば散髪という今日それから明日を快適に生きるための行為がなされている、
世界を揺るがす技術が提示されても多くの人間はそれを品性と礼儀をもっては迎えないし、世界を変えるターニングポイントの式典は紅白幕の内側で行われる。
この溶け合い具合がじわじわと映画と現実の境界を崩し、架空の世界を浸潤させる。

 

私はそもそもウルトラマンがどうして地球にやって来て、怪獣から人間を守ってくれるかは全く知らなくて……と初見なりにウルトラマンという存在についても書き留めておこうと思ったんですが、ネットでちらほら感想を読んでそれで満足しちゃった。初見の悲鳴は美味なものですが、今回は違うと思うので、おいおい自分が読み返した時に考えをなぞるヒントだけ書いておこう。
「光の国からぼくらのために」と歌われる彼が、どうしてそんな遠い場所からやって来て、無条件に人間を救ってくれるのか。劇中、ウルトラマンという存在が様々に利用されるのを見るにつれ、何故「ぼくらのために」そこまでという思いが募ったけれども。裁定者と会話する彼の言葉をもっと注意深く聴かなければいけなかったな。どうしてか、彼の声は遠く、小さく、聞こえた。

 

感情が飽和する直前にスッと引く演出、特にラストの引き際は見事だったなあ。引き算の重要性を知る。